CREW

大人のための「シンプルな贅沢」。

〜「shokkanryudo-cho 食幹龍土町」で食べたいひと皿〜

絵から生まれる、お店の「思い」と「オーラ」。

〜ディスカバリーを彩る水墨画のこと〜

「孤高の修業」から「みんなとつくる」花が咲く。【正木美則】

~DISCOVERYではたらく人々 第13回~

「極東」に、新しい「発見」。

〜和のクラフトビールに、和の美味を〜

ベースを包丁に。次の夢はここにある。【名田伊里也】

~DISCOVERYではたらく人々 第12回~

サービスの魅力を追い続ける男。【湯浅翔太】

~DISCOVERYではたらく人々 第11回~

酒とメシ、好奇心と数字。【田島正人】

~DISCOVERYではたらく人々 第10回~

さすらいの経歴を、多彩な武器に。【銘苅隼人】

~DISCOVERYではたらく人々 第9回~

豪胆と繊細で、たどり着いた場所。【渋谷洋輔】

~DISCOVERYではたらく人々 第8回~

一途な女、接客の花道を往く。【知野沙央璃】

~DISCOVERYではたらく人々 第7回~

「計画」と「冒険」の疾走。【金子将大】

~DISCOVERYではたらく人々 第6回~

図面からまな板へ。彼女の真の「芯」。【小林祐子】

~DISCOVERYではたらく人々 第4回~

「人前が苦手な男」の、接客の醍醐味。【島村泰知】

~DISCOVERYではたらく人々 第3回~

「孤高の修業」から「みんなとつくる」花が咲く。【正木美則】

~DISCOVERYではたらく人々 第13回~

第十三回は、2月にミッドタウン近くにオープンする「Shokkan 龍土町」の正木美則です。立ち上げからずっと副料理長として「いいと」を守り立ててきましたが今回、再び新店の立ち上げに参加することに。そんな彼のこれまでと、これからを聞いてみました。
(インタビュー・近藤あゆみ)

■関西の伝統を巡り、東京へ。

新店の名前は「Shokkan」ですが、料理は食幹といいとのコラボのような形。僕はそのお寿司と刺身を担当します。あと新名物になるお魚料理も考えています。
ディスカバリーの前は赤坂でフレンチと和食の鉄板焼きをやるお店にオープンからいました。なのでずっと立ち上げが続いてますね。

三兄弟で片親だったので小さい頃から代わりばんこに料理を作ってました。作るのは小さい頃から好きでしたね。料理の世界に入ったのは15歳の時、中学校出てすぐ。専門学校には行かず、大阪梅田の京懐石の料理屋さんに修業に入りました。伯父が関西で有名な料理人だったので、そのつてです。

—-まさに「ザ・修業」という感じですね。

ほんとにコテコテの、昔ながらの修業。基本的には洗い物、それから大根おろし。で、おやっさん(料理長)の出迎え、見送り、着替え、お茶出し…身の回りの世話が8割占めていて、合間に洗い物やおろしをやる。その仕事を1〜3年やって、そこから少しずつお漬け物やお椀をやらせてもらえました。

懐石料理屋には1年半いて、おやっさんに「寿司の勉強もした方がいい」と言われて京都のお寿司屋さんに行きました。60年くらいの老舗で、親子二代でやってるお店。
そこも下っ端から入ったんで出前行って器下げたり…あとはだし巻きや小魚のさばき。1年経った時に巻き物を少しずつやらせてもらえて、その次は軍艦のシャリ玉をつくる練習。握りは3年目から。その頃ちょうど20歳。そこに3年半くらいいて、次は淡路島のリゾートホテルです。そこもおやっさんのつながりで。

—-おやっさんから「次はここに行きなさい」って感じなんですね。

はい。昔のやり方なんですけど、上が詰まってるんでステップアップするために異動しないと給料もポジションも上がっていかないんです。転職というのではなく、おやっさん同士のつながりで動くという感じ。

ホテルでは基本的に魚。大きい生け簀があったんで、締めるところからやらせてもらいました。だから今でも魚には一番強いと思います。そこで7年やって「東京に行きたい」という話をしたら、滋賀で旅館の別館立ち上げ手伝ったらいいよとおやっさんに言われたので1年間やり、それで初めて自分の意思で東京に来ました。そこからは自分でイチから探しましたね。
軽井沢で先輩が料理長やっていて、最初の半年はそこで手伝い。その後丸の内の寿司オペークレストラン。ちょっと外国人向けのお寿司屋さんで、カルフォルニアロールとかスパイシーツナロールとかやっているのでそこで勉強して、その後、赤坂の鉄板焼きです。

—東京に来たらいきなりバラエティに富みましたね。

ずっとコテコテの和食だったので自分の視野を広げるというのも含めて、和食じゃないものをやりたかった。寿司でも王道の寿司じゃない、和食は和食でもフレンチも鉄板も一緒にやるみたいに、ちょっと違うものを自分の中に取り入れてました。
その後、ちょうど「いいと」オープンメンバーの募集を見つけて。カウンターメインの和食というのがディスカバリーに決めた理由です。僕はずっと裏方作業が多かったのでカウンターが魅力的で。それと「いいと」のスタンスが将来僕が思い描いていることに一番近かったので。

—今まで伝統的で厳しい世界でやってきたから、ディスカバリーの社風に驚きませんでしたか?

若い人たちを押し上げていくというやり方にはびっくりしたし戸惑いました。正直「こんなにゆるくて大丈夫なのかな」と(笑)でも幹さんの話を聞いて「ちゃんとした考えがあってのこのやり方なんだ」というのが分かって。

■「いいと」立ち上げ…手探りの日々。

「いいと」の立ち上げは大変でした。メンバーも確定していなかったし、総料理長、料理長、副料理長の僕がいて、「いいと」で初めて仕事する仲間だったので。
あと、総料理長と料理長がお寿司未経験という…(笑)不安だらけでした。でも2人は年下の僕に聞いて勉強してやろう!という意識がすごくて、僕も圧倒されました。聞かれることは多かったけど、みんなでひとつのことを作り上げていくっていうのが楽しかったです。

最初戸惑ったのは接客ですね。お寿司屋さん以降10年くらいずっと裏方だったので、カウンターのサービス経験があまりなくて。あと元々お酒を全く飲まないので「おすすめは?」って聞かれた時に困りました。「すっきり(した飲み口)って何?」っていう(笑)入社して試飲で飲むようになって、少しずつ分かるようになりました。

—「いいと」は手探りだし、正木さんとしても新しい組織の動かし方ですよね。

今まではおやっさんがトップにいて、その人が「右向け」って言ったらそれが間違ってたとしても全員右向くんですよ。そういう中でずっと生きてきた。
ディスカバリーは「この人」だけじゃなく「みんな」でひとつのものを作り上げるやり方。若い子のモチベーションもちゃんと上げてくれて、みんなを育てようという意識がある。そこにすごく共感できて、今は楽しいなと思ってます。

—-逆に「右向け」でキチッと向くことに慣れていたら、「思った通りにやってみて」と言われた時にエッ…となりませんでしたか。

「自分の意見を言っていい」というのは正直戸惑いましたね。「いいと」オープン前に会議を色々やったんですけど、何も発言ができない自分がいるんですよ。今でもどこまで言っていいのか、気を使って迷う時もあります。「言え」って言われても今まで言ってこなかったので「どうしたらいいのかな」と(笑)

—総料理長、料理長、副料理長で、意見がぶつかることはありましたか。

みんなそれそれの経験や考えを持ってるので、ありましたね。そういう時は「この人が言うから通す」ではなく、いいところ悪いところを言い合って作り上げようって意識でしたね。僕の意見にもちゃんと耳を傾けてくれたし。
ケンカもありましたよ。心の中では「ふざけんな」と思ったこともあったけど(笑)そうやって意見を出し合いながらみんなで作り上げていきました。

—-オープンした後は?

「ここがダメだ」「もっとこうした方がいいんじゃないか」とかは毎日話し合ってました。自転車組と終電組がいるんですけど、終電組に料理長の江澤さんと僕がいてサブマネもいて。いつも3人で残って「もっとこうしよう」というのをほぼ毎日やってましたね。それで翌日試してみて「よかったね」とか「もうちょっとこうかな」とか。
改善点は連携の部分。全席カウンターでぐるりと囲まれて、隠れるところが一切ない店なので。ホールとの連携や、料理人のやることは大まかには決まってたんですけど、実際始まってみるとお互い「ここはもっとこうしてほしい」というのがあって、それを1つ1つつぶしていく感じでした。

—-荻根澤さんが総料理長、江澤さんが料理長。濃いメンバー。

濃いですね〜(笑)でも楽しかったです。江澤さんはフレンチ、中華、イタリアン…色んな経験をしてるし、荻さんは新しいものが好きなので今までにない和食を提案してくれるし、すごく勉強になりました。そして僕はコテコテの和食。三者三様でいいバランスだったと思います。

—-正木さんは下から積み上げてきた人なので、上に立った時にイバるというか、「ここまでやってきた俺の言うこと聞け!」ってなったことはありますか?

20代前半の頃はすごくありましたね。もうオラオラな感じでやってたんですけど、その時に先輩に叩きのめされて。「なんでダメなのかをちゃんと伝えないと。ただ怒鳴り散らすだけじゃ相手に伝わらないよ」と。

—怒鳴り散らしてた時期もあったんですね(笑)

若かりし頃ですね…。自分がかつてやられていたそのままでいっちゃうんですよねやっぱり。でも自分が先輩になった時はもう時代の流れもあって、入ってくる子の意識も違う。だから言った時に伝わらないことが多くて、実際2人ほど辞めちゃったりもしました。そういうのも経験してやっぱり自分が変わっていかなきゃいけないなと。変えておいてよかったと思います。そのままでいたらディスカバリーには合わなかったと思うし(笑)

■ガリひとつ、調味料ひとつから話し合う。

—-今度の新店に行ってくれと言われた時は。

「いいと」も一年半くらいでまだまだこれからだと思ってたので、実は一度お断りしまして。それでも興味はあったので、やはりやってみようと。
自分もさらにステップアップしたいという思いもあって、そのためにはお話を受けて前に進んだ方がいいなと。オープンから「いいと」やってるので、正直自分のやりやすい環境にはなってるんですよ。でもそれに甘えてたらだめだなと。今まで積み上げてきたものを次の場所でも活かせるようにしたい。

—立ち上げを既に3回経験してる正木さんが得た経験則ってありますか。

同じ場所で働く人たちとの連携。まずは思いを聞くようにしています。みんなはこのお店をどういうふうにしたいと思ってるのかなと。まずそこの意識をひとつにしないと、同じ方向に進めない。
話す場を設けるというより気軽に聞いちゃいます。「どういう感じでいきたいんですか?」と。今回の(新店の料理人の)小澤さんや金子さんにも「どういうふうにしていきます?」って軽い感じで聞きました。同時に「僕はこう思ってます」というのも伝えます。
その時こちらが思ってたこととかなり違うことが返ってくきたりもするけど、それはその人の意見なんで一旦僕も飲み込んでやってみて、「これはやっぱりこうなんじゃないですか?」というふうにもっていきます。

—-具体的にはどういう例がありますか。

例えば…ガリがありますよね。それを四角で出したいのか、スライスして出したいのか、それともかたまりでボンと出したいのか。「いいと」立ち上げの時は三者分かれたんですよ、「俺はこれがいい」って。それで全部食べて「このやり方はいいね」「この形はいいね」って言いながらいいところを寄せ集めて、今の「いいと」のガリができた。
それぞれやり方も完成形も違うので結果だけではなく過程も踏まえて、「そのやり方とこれ合わせませんか」と。そういうことが山ほどあります。調味料ひとつ…薄口醤油ひとつとっても違うので、「いいと」の時はとりあえず全部作って、これがいいよねって。時間はかかりますけどね。

—-「いいと」も今度の新店も、経営陣から「こうして」というのは来ないんですか?

やってほしい料理に関しては出てくるんですが、その過程は僕ら次第なんです。今回も金子さんと小澤さんと僕がいて、僕は2人と一緒に仕事したことないんで、またそういう作業が必要。今まさにすり合わせてるところですね。
大変だけど楽しいし、モチベーションとしてはすごく高い。自分のやり方でやらせてもらえて意見も聞いてくれるっていうのは料理界ではほんとに貴重です。

—-新店はどんなお店にしていきたいですか?

お寿司をやるので、活気は欲しいと思ってます。でも馴れ合いじゃなくて、きちんとしていながらも仲がいい雰囲気。活気がある方がお客さんも見ていて気持ちいいかなと。
僕の理想はホール調理場を分け隔てなくひとつのチームとして、ひとつのゴールに向かっていけたらなと。「いいと」でもそういう話をしてました。ゴールがなくてみんなどこに向かえばいいか分からないという状況を作りたくないんで。
「いいと」だと、オープン当初なら売り上げいくらとか。そういう分かりやすい目標を置いて、みんなで昇っていこうよと。そのゴールをどんどん遠くしていって、スキルアップレベルアップをしていきたいです。

—-そのためにはメンバーといっぱい話さないとですね。

「いいと」でも面談をやってました。ぼく個人が勝手にやってるんですけどね、各々とマンツーマンで。
今の自分の現状と「もっとこうしたい」というのを受け止めて、それを総料理長の荻さんに「こういうふうにしませんか」と。下の子たちの意見を受け止めて荻さんに相談する。それによってまとまっていく。荻さんの思いも僕が聞いて、若い子たちに共感してもらう。それが副料理長である僕の役目ですね。中間管理職なんで大変なんですけどね…(笑)

—-大事な役目です(笑)毎日一緒にいても、話さないと気持ちはズレていくし。

新店行くって決まって、日々の仕事にばかり目がいってたのがパッと目の前がひらけて全体が見えるようになったんですね。それで1人1人に話聞いて、荻さんともマンツーマンで話して。話を聞くと色々出てくる。それに対して僕がどう思うかというのもちゃんと伝えて話を進めて。
お互い本当はどう思ってるかは分からないし、言ったことが伝わってるのかも分からない。なのでなるべく「なぜこういうふうに言ったか」というのをちゃんと伝えるようにしました。

—-そんな正木さんが「いいと」からいなくなるのはさみしいですね。

ほんとさみしいんですよ。みんなが遠ざかっていく…みたいな(笑)新店ではそれをまたイチから作っていかなくちゃなんで。
僕は人間関係の構築は下手くそな方だと思います。我が道を行くというのを通してきたタイプなので(皆でやるのが)大の苦手でしたね。「いいと」に入ってから自分の殻がむけて意識が変わったと思います。いまは本当に大人の階段昇れたな…と噛みしめてます(笑)

 

■「見せて喜ばせる」仕事。

—-対人関係で言えば、接客に関しても変わりましたか?

実は人見知りで喋るのは苦手なんですけど、カウンター仕事なんで喋らなくちゃいけない。ある程度の会話はできるようになったけど、周りを見ると「会話が得意な人」「愛されキャラでお客さんから可愛がられる人」いろんな個性がある。じゃあ僕はお客さんに何が受けるのかなと思った時に、「見せる仕事」を前面に出していこうかなと。僕の仕事をお客さんが見て「わあ、すごい」と思ってもらえるよう、1つ1つの仕事のクオリティを上げようと。
会話で楽しませるのも大事だけど、カウンター仕事だったら見せて喜ばせるっていうのもアリですよね。僕はその方が得意なので、「仕事きれいだね」と言われたら「ヨッシャ!」と。
トークが上手い人にはかなわないから、僕は僕なりのやり方でお客さんに寄っていきたい。

—-確かに会話を楽しむお客さんもいれば、料理人の手元をみて飲みたいお客さんもいますもんね。やはり見られながらやる仕事は違いますか。

違いますね。僕はわりと仕事にのめり込むタイプなので、仕込み中は集中しちゃってあまり喋らない。でもお客さんいる時それだと接客ができなくなるので、肩の力を少し抜いて、丁寧にしつつも意識して周りをみるというようにしてます。

—-見られてる意識があると、立ち姿から違ってきそう。

僕はかならず自分のいいアングル…「この角度!」というのでやってます。なので写真はいつ撮られても大丈夫です(笑)

—–それもひとつのエンターテイナー(笑)

カウンター仕事やってて、ほんとみんなエンターテイナーだなと思います。いかにお客さんに満足して帰って頂くかというのを心がけて、それぞれのやり方でやっているので。

■意識ひとつで、すべてはがらりと変わる。

—–将来的な目標は。

自分の店を持ちたいというのはあります。お寿司を活かしつつ、古き良き和食との融合を目指してるんで。それをカウンターメインの仕事でやりたいという夢はあります。
ディスカバリーでの目標は、上まで行ってみたい。関西まわって培ってきた自分の力がこの会社ではどこまで通用するのか。今までただ勉強のためと思ってきたのでその意識が低かったけど、最近は副料理長という役職の重みとか色々考えるようになって、上までいってみたいなという気持ちが強くなりました。
金子さんは僕の1こ上で総料理長、小澤さんは僕の1こ下で料理長。その間にはさまれてるのでちょっと負けたくないぞと。今までは年上の荻さんと江澤さんだったんですが、次は若いチームなので負けられないという意識が強くなりました。

—-ディスカバリーは「俺があそこに行くまであと10年…」みたいなのがないから、いい意味での焦りがある。

若い人にすごいチャンスをくれる会社なのでモチベーションを保てますよね。俺も頑張ったらああなれると。それが「いつか」じゃなく、リアルに叶うので。

—-最後に、料理界で勉強中の若い人たちにメッセージを。

みんな「家が料理屋で」「調理師学校に行ったから」(料理界にいる)とか、流されてる感があって。せっかく料理やってるんだから「将来こういう料理つくりたい」「こういうお店やりたい」そういう意識を持って欲しいです。毎日何かひとつ覚えようという意識を持ったら、もっと仕事が楽しくなる。
どちらかというと、みんな「日々の作業」に近いんです。そうではなくて、1日1個、何か新しいものを身につけていけばずい分違ってくる。ひとつの作業に自分なりの思いや改善点を入れてやれば料理がどんどん楽しくなるはずです。
言われてやるだけだと「何故なのか」が分からない。意識ひとつで全てが変わる。イヤイヤやってもしょうがないだろ、どうせやるなら楽しくやろうよ、と思います。

—「他人ごと」じゃなくて「自分ごと」にしようよ、と。

そうですね、ほんと。

どんな問いにも明確に答えながらも「実は根が暗いから考え込む」と言う正木さん。でも格闘技とジャッキー・チェンをこよなく愛し、休日はアクション映画漬けという一面も(笑)「中国拳法もダンスもやってたので、歌って踊れて戦える料理人ってどうだろう…『ONEPIECE』でいったらサンジになりたいです」
新しい場所に行っても、楽しんで高みを目指す男。正木さんの見せてくれるグランドラインはどんな景色なのか、楽しみです。